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2011年11月28日月曜日

遅れて参入“佐川急便”の成功

こんにちは。
(魔)女の宅急便班、原千晶です。

街でヤマト運輸のトラックを見ると、
なぜか親近感が湧くぐらいに
宅急便に対しての思い入れが強くなってきた今日この頃です。
やはりその企業の成り立ちやストーリーを知ると、
企業に対する愛着が湧いてきて楽しくなりますね。

さて、今まで私たちは宅急便に興味を持ち、
失敗ケースとみなした日本通運の『ペリカン便』
そして、先駆者であるヤマト運輸の『クロネコヤマトの宅急便』
を対象に雑誌や書籍、関係者の方へインタビューを行うことで、
研究を進めてきました。

その中で国土交通省から出されている
宅配便等取扱個数の推移を見てみると、
1998年という後発の参入ながらに
ヤマト運輸と対等に取り扱個数を伸ばしている企業がありました。

飛脚のマークでおなじみの佐川急便です。

あれ?
動物マークではないからこんなに成功したのかな?

そんなわけないだろうってことで()
私たちは佐川急便についても調査を始めました。

いつも通り、雑誌や書籍を探し、読んでいると
ある雑誌記事が私たちの目にとまりました。

それは宅急便セグメント別シェア一覧です。
その一覧は荷物を出す側(荷出し)と荷物を受けとる側(荷受け)
企業と個人に分けて企業のシェアを出していたのです。

個人から個人への配送のシェアは
ヤマト運輸54%、日本郵政40%、
一方、企業から企業への配送シェアは
佐川急便48%、ヤマト運輸38%、
そして、企業から個人への配送シェアは
ヤマト運輸42%、佐川急便38




この数字と企業の分布を見てみると、
企業の特色が異なっている事に驚きました。

なるほど、佐川急便は企業対企業の配送に強いから
ヤマト運輸と渡りあっていけるのかな。
本当にそれだけなのかな。

そんな疑問を持ちつつ、さらに佐川急便を知ろうと
社史を眺めていると、創業者佐川清が創業時のことについて
述べている記述を発見しました。
元々、佐川清は自分一人で大阪京都間の飛脚業を始めました。
朝早くから京都市中の問屋やお店を
「飛脚の佐川です、ご注文いただけませんか」と尋ね歩き、
あずかった荷物を配達しながら、
船場あたりに集まる問屋やお店をまた一軒ずつ訪問していったそうです。
中でも、呉服店とのつながりが強く、お得意様として取引していました。
また、このビジネスに対して批判的にひやかすお客様もいたようですが、
「今日のひやかし客は明日のお客様」といって諦めずに荷物を集め続けたのです。

こういった企業の創業をたどると、佐川急便の大切に考える精神が分かってきました。
お客様が呉服店ということで、商業小口貨物を主として取り扱っていること。
荷物を配達しながら、集荷も行うという営業の精神が根付いていること。

これらの精神は今でもきちんと体現されているのだろうか
それとも変わってしまった部分はあるのかな。
この疑問を解消するには、やはり現場の声を聞こう!と
佐川急便に入社されて2年目の方お話を聞けるチャンスを得ました。

「やっぱりアパレルの荷物が多くて、渋谷営業所での配達はほとんどが店舗への配送かな。」
「ヤマトさんと佐川は自分で荷物の値段を決めれるんだけど、郵政さんは値段を簡単には決めれないよ」

きちんと今の時代にも創業時の想いは貫かれているんだなーと思いながら、
インタビューを続けていると、面白い話を聞くことができました。

「今、会社で言われているのが、他社の荷物でもいいからそこに荷物があれば、荷物を持ってこいってことです。だいたい他社さんの荷物は値段を下げれば、任せてくれるんだけどヤマトさんの荷物は難しいんです。なぜかというと、ヤマトさんは宅配便にも商業貨物にも時間帯指定のサービスを提供してるんだけど、佐川は宅配便にしかしてないから難しいんだ」

ヤマトの「サービスが先、利益は後」の考えを切に感じることができたのと同時に、
ヤマトと佐川の違いは荷出しと荷受のどちらに価値を置いてるのかを感じることもできました。

きっとヤマト運輸は対個人へ事業を展開したからこそ、
荷受に対してのサービスを重要視する、
けれども、佐川急便は元々対企業に対しての荷物が多いから、
荷出に対してのサービスを重要視する、
こんなことも言えるのではないかと考え始めました。

ヤマト運輸と日本通運、そして佐川急便の三社を
いかに模倣のレンズで見ていくかが今後の課題になりそうです。

2011年11月10日木曜日

クロネコヤマトの宅急便の模倣できない仕組み


そろそろ、季節は冬、クリスマスや年末を迎えようとしている中、宅配便事業も繁忙期に入るころでしょうか。

私たち井上ゼミ生も・・・
他大学とのインゼミに、冬合宿に・・・何より卒論!!!
繁忙期を迎えようとしています。

宅配便のドライバーさんとともに、この繁忙期を乗り越えたい!と気合満タンです。


みなさま、こんにちは。()女の宅急便班、浦田です!


さて、前回のブログでは、相方の原の方から、日本通運のペリカン便事業について少し書かせて頂きました。

ここで、私たちは、
そもそもの宅配便事業のパイオニアであるヤマト運輸の仕組みを理解しなければならない
と感じました。

そこで、まずは書籍を用いてヤマトの宅配便事業参入のプロセスを見てみました。

この研究で最もお世話になっている書籍・・・小倉昌男さんの『経営学』をここでも活用させて頂きます!

そもそも、ヤマト運輸の宅急便とは・・・なんだろうか。


運輸、だったり、物流、だったり、と聞くと、いまいち身近に感じない人も多いかと思うのですが、
クロネコヤマトの宅急便というと、身近に感じられる人も多いかと思います。

道端でトラックを見かけることも多いはず。
一人暮らしなんかしていると、親から荷物が届いたり、
ネット通販で買物すると、届けてくれたり、と関わることが多いのではないでしょうか。

「なんとか明日までに荷物を届けてほしい!・・・」そんなことを当たり前のようにかなえてくれる
今日の宅配便サービスですが、昔はそれが当たり前ではありませんでした。

かつて、対企業向けのサービスしかしていなかった運輸業界。
対個人に対するサービスといえば、郵便小包の独占事業でした。
(当時、配達に4~5日かかっていたサービスだったそうです。)


採算のとれないリスクの高い事業だと捉えられ、対個人へ荷物を運ぶという宅配便サービスは、敬遠されていました。

皆に無理だと言われるようなリスクのある事業を確立させ、
今日の「当たり前」のサービスにつなげたパイオニアが、ヤマト運輸なのです。

ヤマト運輸では、かつて、他社と同じように、大口の貨物をトラックで運ぶ事業を行っていました。

しかし、戦後、その事業に陰りが見え、採算が取れなくなっていったのです。

「このままではいけない!」そう判断し、変革をした人が、
『経営学』の著者であり、当時の社長であった小倉昌男氏でした。

当時、多角化していたヤマト運輸でしたが、
ある日、牛丼の吉野家がそのメニューを牛丼のみに特化していたことを目にして、
「一つの事業に特化する戦略」を思いついたそうです。

そして、なんとか宅配便事業を成功させようと、これまでのお得意先との関係も断ち切り、
新たにゼロからその仕組みを創り上げていったのです。

対企業のサービスと、対個人のサービスの間で大きく違うのは、
・一つ一つの荷物は小さいこと(小口であること)
・対個人には、不在があること(荷物を届けても消費者がいない状態。)
ではないかと考えています。

一つ一つは小口であるため、採算を上げるためには、
バラバラになっている小さい荷物をヤマト運輸に集める必要があります。
そのために、ヤマト運輸では、街の米屋や酒屋に頼んで、取次店契約を交わして行きました。
消費者にとって身近な、地元の米屋や酒屋にヤマト運輸の旗が掲げられ、
消費者の中でその認知は高まっていき、荷物が集まって行くようになりました。
それに加え、「たとえ一つの荷物でも電話一本で取りに行きます」と明言し、
狭い住宅倍にも入れる小型のトラックに変えて、ドライバーが荷物を集荷しに行きました。

ドライバーとしては、これまで以上に手間がかかることが増えたはずです。
そんな中、小倉氏が現場を説得し続けたからこそ、
ヤマト運輸のドライバーたちは、徹底してサービスを実践していき、
信頼を獲得することができたのではないかと思います。

また、不在がある、というのはドライバーたちにとって手間になります。
これまでの対企業のサービスであれば、企業に荷物を届けるとき、
誰かはその企業にいるはずで、一度で荷物をきちんと配達できるのが当たり前でした。
しかし、一般家庭に荷物を届けると、「不在」であることはしょっちゅうです。
不在の場合、「再配達」が必要ですよね。そのためには、同じ日にもう一度その家庭に荷物を届けなければなりません。

その場合、これまでの大口貨物向けの配送網をそのまま使っていると、
一台のトラックがまわらなければならないエリアが広すぎて、再配達など出来ない、といったことになってしまいます。
そこで、ヤマト運輸では、これまでの大規模な拠点を使用せず、新たに規模の小さい拠点をいくつも作って行ったのです。
「先ほど不在だったので、今日の夜荷物を届けてもらえませんか?」
というお客様の答えにこたえられるよう、多大なコストをかけて、きめ細やかな配送網を創り上げていったのです。

宅配便、またその中での再配達、時間帯指定サービスなど、今では当たり前のサービスに感じますが、多大なコストと、ドライバーたちの努力があって実現できているものなのです!!

ヤマト運輸が宅配便事業を創り上げていく過程において、重要だったことは、
小倉氏が従業員たちに伝え続けてきた「サービスが先、利益は後」という考え方です。
徹底したサービスを実現するには、多大なコストがかかるし、コストを抑えればサービスはほどほどにしなければならない・・・つまり、サービスとコストはトレードオフの関係にあります。
これは、経営者ならば誰もがぶつかる壁なのかもしれません。
小倉氏は、このような二律背反の条件にぶつかった際、以下のように考えたのだと、小倉氏著の『経営学』の中で述べられています。


「宅急便を始めた以上、荷物の密度がある線以上になれば黒字になり、ある線以下ならばあ赤字になる。したがって荷物の密度をできるだけ早く濃くするのは至上命令である。そのためには、サービスを向上して差別化を図らなければならない。コストが上がるから止める、というのはこの場合、考え方としておかしい。サービスとコストはトレードオフだが、両方の条件を比較検討して選択するという問題ではない。どちらを優先するかの判断の問題なのである。」


(小倉昌男『経営学』日経BP社、1999年、p133134


この宅配便事業を長期的な視点でとらえ、目先のコストよりもまずはサービスを整えよう、と明確に指針を示した彼の、
経営者としてのセンス、リーダーシップはとても素晴らしいものなのだということを、学生ながら、感じました。

昨日、ヤマト運輸の社員2年目の方に、インタビューをさせて頂いたのですが、
この「サービスが先、利益は後」の考えは、小倉氏が亡き現在でも、会社で浸透している考え方だとおっしゃっていました。

クロネコヤマトの宅急便が、長期にわたって愛され続けたのも、
その変わらないコンセプト、サービスがあったからなのではないかと感じました。

今後は、枠組みを用いてこのビジネスの仕組みを整理できればと考えています!
他の企業もチェックしないと!

以上、長くなりましたが、今日はこの辺で。


失礼します。

2011年10月30日日曜日

大企業“日本通運”の躓き(つまづき)


こんにちは。
女の子二人で始めた宅配便における研究ということで
班名を映画のタイトルとかけました!!
(魔)女の宅配便班!!
片割れの原です。

私たちはあれから
ヤマト運輸の宅急便事業がいかにして成功したのか、
そして他社が同じように動物のシンボルマークを用いて
市場に参入してきたにも関わらず、失敗していってしまったのか

この疑問を解消すべく、
フィールドワーク調査を行おうと
現場の方の話を聞こうと考えました。
そこで、30社近くもある追随企業の中から
私たちが目をつけたのは、
現在運輸業界の中でも大手の企業である日本通運。

日本通運は元々鉄道で輸送されてきた荷物を
トラックに積み込み配達するという通運事業を強みとして発展してきました。
そのため、駅があるところには
日本通運の大きな拠点が存在しているわけです。

宅配便事業に関しては
ヤマト運輸が事業を開始した一年後に
『ペリカン便』というネーミングでスタートしました。
元々、持っていた全国に敷かれている配達網、
既に所有しているトラック
日本通運は元から全国輸送網という優良な資源を保有していました。

にも関わらず、
現在日本通運のペリカン便は日本郵政に全業務を委託しています。
つまり、宅配便事業に関しては手をひいたということです。

どうしてトップ企業であり資源も多く保有している日本通運が
ペリカン便を手放してしまったのだろうか。

私たちは知り合いの方にご紹介頂き、
元日本通運の航空貨物輸送で働かれていた社員の方に
お話を聞くことができるチャンスを得ました!

この班になってから初めてのインタビューです!
今回のインタビューの目的は日本通運という会社を知ること
念頭においてインタビューを始めました。

するとその方はなんと!
私たちの研究概要を聞いて小倉昌男の経営学を持参して下さるほど協力的な方でした。
1時間のインタビューを終えて、私たちは以下のコメントが心に残りました。

「そもそも現場の人間が大口貨物とプラスして小口もって言ったら、モチベーション上がらないよね、お客様に荷物を渡す時の挨拶からヤマトと違うからねー」

これまで日本通運は国鉄と協力して大口貨物を運ぶことに関して
プロフェッショナルであるドライバーさんが、
いきなり宅配便のような小口荷物を運ぶことを任せられても
確かにとまどってしまうのだろうな。
まして、宅配便ならではの不在”(配達先に受け取る人がいない場合)の再配送など
あった日には苦労も絶えなかっただろうななど。

今まで資源は配送するためのネットワークやトラックなどと捉えてしまいがちでしたが、
人材も確かに資源だということを痛感させられました。

元々保有している資源を有効的に使おうとしてしまうこと
気づきを整理する中で、これが模倣する際に注意する点なのではないかと考えました。

では、うまくいった企業はどのような経緯で事業を立ち上げていったのだろう。
そんな疑問を抱きつつ、
秋も深まる今日この頃、引き続き急ピッチで頑張ります。