こんにちは。
(魔)女の宅急便班、原千晶です。
街でヤマト運輸のトラックを見ると、
なぜか親近感が湧くぐらいに
宅急便に対しての思い入れが強くなってきた今日この頃です。
やはりその企業の成り立ちやストーリーを知ると、
企業に対する愛着が湧いてきて楽しくなりますね。
さて、今まで私たちは宅急便に興味を持ち、
失敗ケースとみなした日本通運の『ペリカン便』
そして、先駆者であるヤマト運輸の『クロネコヤマトの宅急便』
を対象に雑誌や書籍、関係者の方へインタビューを行うことで、
研究を進めてきました。
その中で国土交通省から出されている
宅配便等取扱個数の推移を見てみると、
1998年という後発の参入ながらに
ヤマト運輸と対等に取り扱個数を伸ばしている企業がありました。
飛脚のマークでおなじみの佐川急便です。
…あれ?
動物マークではないからこんなに成功したのかな?
そんなわけないだろうってことで(笑)
私たちは佐川急便についても調査を始めました。
いつも通り、雑誌や書籍を探し、読んでいると
ある雑誌記事が私たちの目にとまりました。
それは宅急便セグメント別シェア一覧です。
その一覧は荷物を出す側(荷出し)と荷物を受けとる側(荷受け)を
企業と個人に分けて企業のシェアを出していたのです。
個人から個人への配送のシェアは
ヤマト運輸54%、日本郵政40%、
一方、企業から企業への配送シェアは
佐川急便48%、ヤマト運輸38%、
そして、企業から個人への配送シェアは
ヤマト運輸42%、佐川急便38%
この数字と企業の分布を見てみると、
企業の特色が異なっている事に驚きました。
なるほど、佐川急便は企業対企業の配送に強いから
ヤマト運輸と渡りあっていけるのかな。
…本当にそれだけなのかな。
そんな疑問を持ちつつ、さらに佐川急便を知ろうと
社史を眺めていると、創業者佐川清が創業時のことについて
述べている記述を発見しました。
元々、佐川清は自分一人で大阪京都間の飛脚業を始めました。
朝早くから京都市中の問屋やお店を
「飛脚の佐川です、ご注文いただけませんか」と尋ね歩き、
あずかった荷物を配達しながら、
船場あたりに集まる問屋やお店をまた一軒ずつ訪問していったそうです。
中でも、呉服店とのつながりが強く、お得意様として取引していました。
「飛脚の佐川です、ご注文いただけませんか」と尋ね歩き、
あずかった荷物を配達しながら、
船場あたりに集まる問屋やお店をまた一軒ずつ訪問していったそうです。
中でも、呉服店とのつながりが強く、お得意様として取引していました。
また、このビジネスに対して批判的にひやかすお客様もいたようですが、
「今日のひやかし客は明日のお客様」といって諦めずに荷物を集め続けたのです。
こういった企業の創業をたどると、佐川急便の大切に考える精神が分かってきました。
お客様が呉服店ということで、商業小口貨物を主として取り扱っていること。
荷物を配達しながら、集荷も行うという営業の精神が根付いていること。
これらの精神は今でもきちんと体現されているのだろうか…
それとも変わってしまった部分はあるのかな。
この疑問を解消するには、やはり現場の声を聞こう!と
佐川急便に入社されて2年目の方お話を聞けるチャンスを得ました。
「やっぱりアパレルの荷物が多くて、渋谷営業所での配達はほとんどが店舗への配送かな。」
「ヤマトさんと佐川は自分で荷物の値段を決めれるんだけど、郵政さんは値段を簡単には決めれないよ」
きちんと今の時代にも創業時の想いは貫かれているんだなーと思いながら、
インタビューを続けていると、面白い話を聞くことができました。
「今、会社で言われているのが、他社の荷物でもいいからそこに荷物があれば、荷物を持ってこいってことです。だいたい他社さんの荷物は値段を下げれば、任せてくれるんだけど…ヤマトさんの荷物は難しいんです。なぜかというと、ヤマトさんは宅配便にも商業貨物にも時間帯指定のサービスを提供してるんだけど、佐川は宅配便にしかしてないから難しいんだ」
ヤマトの「サービスが先、利益は後」の考えを切に感じることができたのと同時に、
ヤマトと佐川の違いは荷出しと荷受のどちらに価値を置いてるのかを感じることもできました。
きっとヤマト運輸は対個人へ事業を展開したからこそ、
荷受に対してのサービスを重要視する、
けれども、佐川急便は元々対企業に対しての荷物が多いから、
荷出に対してのサービスを重要視する、
こんなことも言えるのではないかと考え始めました。
ヤマト運輸と日本通運、そして佐川急便の三社を
いかに模倣のレンズで見ていくかが今後の課題になりそうです。